にっぽん日和

市長からのメッセージ 下関市長 中尾 友昭

2013-09-04

後援:観光庁
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海峡のまちは国際都市
豊かな文化と産業の
鼓動を感じてほしい

下関市長 中尾 友昭

海峡のまち、下関市で有名なのは、言うまでもなくふくです。私は唐戸市場でふくのせり人を務めた経験があります。現在は養殖のふくがありますが、天然物のふくのみが売買されていた時代、相場の上下は非常に激しいものでした。そこで日本中から集まってくるふくのせりは、漁師にとっても買う人間にとっても命がけ。その間に立つのがせり人であり、リーダーシップが必要とされました。せり人としての経験は、今の市長の仕事によく似ています。

私の政策は市民起点の市政地域内分権です。下関市は1市4町が合併して9年目を迎えましたが、東京23区の1・2倍の広さがある市の隅々まで行政サービスを行き渡らせるのは大変なことです。そこで行政の拠点を分散させて、地域ごとにきめ細かい行政サービスを行っています。

それを可能にするのは豊かな知識を持った人材です。下関市では昨年より、「下関未来大学」を開校しました。各講座は下関にかかわる地域・産業・経済・国際・歴史・人間がテーマ。目的は、将来、地域分権のリーダーとなるような人材を育成することです。実は私は現在、市内の大学院で学んでいるのですが、いずれ下関市の地域内分権に関する事例をテーマとして、修士論文にまとめたいと考えています。

さて、海峡のまち下関は、海外5都市と姉妹都市提携を結んでいます。トルコのイスタンブール、アメリカのピッツバーグ、ブラジルのサントス、中国の青島、そして韓国の釡山です。
また、下関港からは韓国・釡山港へ毎日、中国・青島港と蘇州へは週2便のフェリーが運行しています。乗降客は年間20万人以上、輸出入も年間8000億円にのぼります。海外との交流は、文化や産業を豊かにし、まちの活性化の軸となっています。下関はまさに国際都市。山口県内において、県庁所在地のある山口市をワシントンDCだとすれば、下関市は山口県のニューヨーク。海外の銀行も支店を構える市街地はウオールストリート、ウオーターフロントにある市場はフルトン魚市場のようなものですね。

さらに下関市はスポーツが盛んな都市でもあります。「下関海響マラソン」は、3500人の市民ボランティアの行き届いたホスピタリティもあり、1万人以上が参加する大イベントです。「ツール・ド・しものせき」には、市内の大手自転車メーカーからご協力をいただいて年々参加者が増加しています。さらに下関ゆかりの偉人、高杉晋作の没後120年を記念して始まった「維新・海峡ウォーク」は、毎回2万人もの参加者で賑わいます。昨年より、この3大会すべて完走した人を「海響アスリート」に認定しています。

海産物だけではない下関市。歴史と文化の探求と海響アスリートへの挑戦を、いつでもお待ちしております。

Yamaguchi山口県

下関市

【面積】716.17 km²
【人口】274,273人
【世帯数】118,139世帯

くじらと下関

下関市は2 0 1 1年に市の動物として鯨を指定し、昨年からは下関市に隣接する長門市とともに「くじら日本一のまちづくり」と題して広くPRをしています。下関と鯨との関りは古く、市内の縄文時代後期の遺跡から鯨骨が出土したり、1 2 世紀には平家物語の中で、壇ノ浦を舞台にイルカが登場します。また中世では古式捕鯨が行われた形跡があります。現在でも調査捕鯨で捕獲した「いわしくじら」が学校給食に出されたり、年末年始や節分の時には「くじら」を食べる習慣があります。

あんこうの漁獲量が日本一

意外にも「あんこう」の水揚量日本一。「ふく」に次ぐ下関の新たな地域産業資源として、「あんこうプロジェクト」も開始。ちなみに、11月はあんこうの漁期の始まりで、旬を迎える月でもあり、11月23日を「あんこうの日」として制定。骨以外、捨てるところがないムダのない魚といわれる。

ファイブエル ミシラン 元祖 瓦そばたかせ本館

2013-09-03

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おこげも美味しい茶そばが決め手

元祖 瓦そば

元祖 瓦そばIMG_7524

写真右)取材対応をしていただいた統括マネージャーの山本幸也さん

大きな瓦の上にこんもりと盛られた茶そば。その上には錦糸卵、牛肉、ネギ、海苔、レモン、もみじおろしが載っている。迫力のあるこの食べ物は、下関市民にとっては非常にポピュラーで、スーパーでも「瓦そばセット」が販売されているほどだ。

考案したのは「たかせ」の創業者、高瀬慎一さんである。川棚温泉で旅館を営んでいた高瀬さんが、西南の役で兵士たちが瓦の上で野菜や肉を焼いて食べていたという話にヒントを得て、1961年に開発したのだ。

さてボリュームある瓦そば、どこから取り掛かろうかと考える。レモンともみじおろしは一気につゆに入れるのがいいのかどうか? 迷っていると、下関市民がアドバイスしてくれた。

「最初は茶そばとつゆだけで食べて、次にレモンともみじおろしを入れたら、2つの味が楽しめます。茶そばにはおこげになったところがあって美味しいでしょう?」

その茶そばは、宇治抹茶を練り込んだ、たかせ特注品だそう。

瓦そばと並んで、この店の人気メニューは「うなめし」である。昔、この地にうなぎの養殖場があったことからはじまったという。2人で訪れたら、瓦そば2人前、うなめし1人前をオーダーするのが王道だという。

さらに店のたたずまいにも趣がある。聞いてみると、もともとは芸妓さんの置屋だった建物を、創業者が「曳家」でこの地に運び、自らも住居として使っていたそうだ。

下関駅からは車で約40分ほどかかる「たかせ」だが、休日に車を走らせたくなるのもわかる。瓦そばと店の雰囲気、両方楽しみたい店である。

瓦そばたかせ本館元祖 瓦そばたかせ本館

下関市豊浦町大字川棚5437

【T E L 】083-772-2680
【営業時間】11:00~21:00
【定休日】木曜日(祝日の場合は営業/新館・別館は営業)
瓦そば 1人前1050円(写真は2人前)

ビジョナリーな人たち 下関市民ミュージカルの会   代表・演出家 伊藤寿真男

2013-09-02

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生まれた街に舞い戻った男の生きる道は
市民の手によるミュージカル
下関に本物の文化を育てたい

伊藤寿真男

下関市民の手によるミュージカルは本物である。
劇団四季をはじめ、多くのプロ俳優を輩出し、
全国の市民参加型ミュージカルの草分け的存在になった市民ミュージカル。
「演じるのではなく、本当の気持ちを伝えよ」と、
代表の伊藤寿真男氏は言う。
「東京のプロには頼まない。
それでは地元に文化が蓄積されないから」とも。
商売っけなく、不器用に25 年。
本物を追究し続ける男の物語である。

伊藤寿真男(いとう すまお)

1948年下関市生まれ。早稲田大学商学部在学中に劇団四季附属研究所に入所。卒業後、ソニー㈱に入社。30歳で下関市に戻り、映像制作の会社を立ち上げる。1988年、『下関市民ミュージカルの会』を設立。全作品の脚本、演出を担当し、自ら出演することもある。同会はサントリー地域文化賞、山口県文化振興奨励賞、宝塚ミュージカルコンクール金賞を受賞している。



下関市で毎年秋に行われる『源平n ig ht in 赤間神宮』。赤間神宮正面拝殿前の大階段を特設ステージとして、豪華絢爛な歴史絵巻が繰り広げられる。
2005年から始まったこのイベントは観覧無料。なぜかというと、このミュージカルは脚本から演出、演奏、振り付け、舞台効果などの裏方からキャストまで、すべて下関市民の手で行われているからである。

『下関市民ミュージカルの会』の発足は1988年。会の結成を呼びかけたのは、プロとして劇団四季の舞台に出演していた伊藤寿真男さんだ。「ウチは裏も表も下関市民です。音楽などのプロフェッショナルの部分には、少しだけ下関以外の人の手も入っていますが、それもまったく下関とは関係のない人ではありません。

また、ここでミュージカル作りを経験してプロになった人もたくさんいます。そんな人たちが『たまには地元に帰ってミュージカルをやりたい』ということもありますが、丁重にお断りします(笑)。
なぜなら、ここは彼らに続く人たちを育てる場だから。タレントを養成するつもりでやっているワケではないのです。東京から人を呼ぶと、1回限りになってしまう。それでは地元の文化が育たないんですね」

源平night in 赤間神宮源平night in 赤間神宮

芝居をやめた男のところに

訪ねてきた劇団員

 伊藤寿真男伊藤さんが劇団四季に入団したのは早稲田大学在学中である。大学を卒業すると、演劇の世界から離れてソニーに入社した。

なぜ演劇を離れたのか?と尋ねると、「浅利慶太さんと喧嘩しちゃったから」と、小さく笑った。

「でもね、劇団四季の浅利慶太さんとソニーの盛田昭夫さんのような、まったく違う分野のトップ2人に師事したような人間は、日本中を探してもあまりいないんじゃないかな(笑)。

僕は早稲田では、寺山修司や唐十郎に憧れて、チェーホフやゴーリキーなどの芝居をやっていました。アングラ芝居ですから、難しい言葉を使って、わからない観客が馬鹿なんだという立場でやっていたわけです。しかし気づくと劇団四季のような商業演劇に長蛇の列ができている。それはなぜだ?と思ったら、『演劇はお客さんがあってなんぼ。喜んでくれる対象者がいるからこそ、演劇は成立するのだ』というんですよ。自分が偉そうにしていたって、難しい理論を作ったって、それを伝える人がいなかったら何もならないんですね。

盛田昭夫さんにはソニー創業当時のお話もいろいろうかがいました。ソニーはモノを売るのではなく、その価値を売る会社なのだと聞いたときは、すごい会社だなと思いました。盛田さんは工学博士なのですが、資格を捨てて、自ら営業マンとしてアメリカを巡ったわけです。

浅利さんは文化の頂点に立ち、盛田さんはビジネスの頂点に立った。僕はお二人から素晴らしいことを学びました。それは私の財産です」

ソニー時代は高度成長期で、寝る間もないほど働いた。全国に転勤し、その回数は8回にも及んだ。そして30歳のとき、伊藤さんは下関にUターン就職した。

一度芝居をやめてからは、一切、芝居からは遠ざかる日々。下関に帰ってきてからは映像制作の会社を立ち上げていた。そんな伊藤さんのところに、劇団四季の制作担当の女性が訪ねてきたのである。
「劇団四季は1回の公演に450万円かかるのですが、あるところから補助金が出たので、1ヶ所250万円のお金を集めてもらえたら、下関市の子どもたちを無料で招待できるというんです。実際、その女性が劇団四季に入ったのも、子どもの頃に四季の公演を観たからだというんです。これは是非、協力したいと思いましたよ。でもね、これはローカルの特徴なのですが、ミュージカルにお金を出してくれるところなんてないんです。とにかくお金が集まらない。大人が見る音楽のコンサートは別ですが。下関の子どもたちに本物のミュージカルを見せることはできないのか? 我が子にも見せることはできないのか? と思ったとき、それなら自分で作るしかないと思ったわけです」

〝老後を捨てて〞
地域文化の発展に尽力

そこから苦悩の1年間がスタートした。市内の音楽、踊り、芸術の分野で活躍する人々に協力を呼びかけて、新聞紙上でも参加者を募った。集まったのは、家庭を持ち、職業を持ち、学校に通う市民たち。伊藤さんの指導のもと、歯を食いしばって第1回公演の日を迎えることができた。

あれから25年。稽古場の家賃を払い、無料で下関観光イベントを行い、市内の数々の学校でも公演を行ってきた。定期公演は子ども1 0 0 0 円、大人は2000円という破格の値段である。

「浅利慶太さんにもっと、商売のことを教えてもらえばよかったなぁ」と笑う伊藤さん。身を削って下関の文化を育てようとするエネルギーはどこから来るのだろう?

「下関にこだわる理由は……自分が生まれた街ですから。ここは天災が少なく、穏やかな土地です。安心して暮らせるんです。だから子どももこの街で育てたいと思いました。この街のためになるなら、この街に人がたくさん来てくれるなら、自分の持っているノウハウは何でも使いたいと思うんですよ」

〝もう老後は捨てたから〞と明るく語る伊藤さん。それでもミュージカルをやりたいと熱望する、地元の人々のことは捨てないで欲しいと願う。他のどこにもない物語のために。

◎木村の視点

木村の視点行政やスポンサーの手を借りず、市民による市民のためのミュージカルを自力で立ち上げて二五年。集まったのは、ほとんどがミュージカル初体験という人ばかりだったというから、その御苦労たるや、さぞかし想像を絶するものがあったに違いない。

果たしてオフィスに併設された広い稽古場や美術倉庫の家賃と収入のバランスは取れているのだろうか? 他人事ながら心配しているこちらの心を見透かすように「もう老後は捨てたから!」と明るく答える伊藤さん。
おっしゃるように、「人生は風船のようなもの。押すとへこむけれど、中の空気の量は同じ。へこんだ部分だけを見ると落ち込んでいるように思うけれど、裏から見れば別の部分が膨らんでいる」ということなのか。

にっぽん日和 山口 下関市 後編

2013-08-30

後援:観光庁
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活き活き! 唐戸市場

地元の漁師が捕った魚だけでなく、養殖した魚を直接販売し、野菜や花などの農産物の直売所もある唐戸市場は、地方卸売市場としては珍しい形態です。4月と10月には食のフェスティバル「唐戸市場祭り」も開催され、日本中からやってきた観光客で賑わいます。

活き活き! 唐戸市場

商売人だけでなく、一般の人も魚を買うことができる唐戸市場。午前7時までは“玄人”さん、午前9時以降は“素人”さんで混み合うとのこと。外国人客も数多く訪れます。
市場を楽しむポイントは、ここで働いている人たちとの会話を楽しむこと。見慣れない魚を発見したら、美味しい食べ方を尋ねてみるのも手です。(金土日は観光客であふれています。)

からと市場市場の中には、観光客、玄人さん、

両方の胃袋を満たすレストランがあります。
玄人さん向けのレストランは比較的早い時間でクローズしますが、

「海転からと市場寿司」は昼は午後3時まで、

夜は9時まで開いていました。

とらふぐとくじらの握りは、是非、堪能したいもの。

海産物ふくのあぶり焼き、ムラサキウニとバフンウニをブレンドしたマイルドな味わいの赤間うに、ぽん酢で食べたい鯨ベーコ
ン、身と肝を使用したあんこうの雑炊スープ。下関ブランドの海産物の数々です。

海産物「唐戸市場は金、土、日曜日がオススメ。寿司がずらっと並ぶのよ」と、藤野商店の美人女将、藤野眞里子さん。
オススメは南氷洋の調査捕鯨でのくじらのみを使った鯨ベーコンでした。

海産物「ふく専門店」と看板を掲げた魚重の店頭は、ふく刺し、ふくちり鍋セット、ふくから揚げ、ふく一夜干しなどふく尽くしの商品が並んでいます。「やっぱりオススメはとらふく大皿セット」と中谷めぐみさん。


 

歴史を感じる下関散歩

関門海峡をすすむ船。異国を思わせる船体の色や国旗を見ていると、このまちが海峡の町であると実感します。明治、大正時代に建てられた建造物からは、国内外の物資や人がこの地に集まり、盛んに交易してきた息遣いを感じることができます。

 みもすそ川公園から臨む関門橋

みもすそ川公園から臨む関門橋。下関市壇ノ浦と北九州市門司を結ぶ、全長1068m、幅6車線の壮大な橋です。日に4度も流れの向きを変える海峡の急潮は、源平最後の合戦の舞台となった、壇ノ浦の古戦場。現代では大小約700 隻もの船を運んでいます。

風雲児・高杉晋作

「風雲児・高杉晋作」の物語を語ってくれたのは歴史体感紙芝居、語り部の南山格子さん。他にも壇ノ浦の合戦や耳なし芳一の物語などの歴史紙芝居を、みもすそ川公園で毎日上演しています。

下関市観光交流部

下関市観光交流部・萱野浩司係長(左)と藤上慶さん。
午前3時に始まるふぐの競りから、隠れ家的なレトロ喫茶店まで、観光だけではない下関を案内してくれました。

林芙美子文学碑

「花のいのちはみじかくて」と詠んだ林芙美子。誕生の地には諸説ありますが、『放浪記』には「私が生まれたのは下関のまちである」と書かれています。
林芙美子文学碑 下関市中之町1-1

関門海峡

関門海峡、巌流島から対岸の九州まで見渡せる「海峡ゆめタワー」。最上階まではシースルーエレベーターで70 秒。恋人たちの聖地だそうです。
下関市豊前田町3-3-1

旧秋田商会

旧秋田商会日本初の鉄筋コンクリート製「旧秋田商会」ビルは、

大正4年竣工。
紹介してくれた伏見由美さん(右)と

畠野眞由美さん。
下関市南部町23-11

こいぬ

IMG_7371「こいぬ」

昭和26 年創業の名曲喫茶。

石迫勝さんとフサ子さんご夫婦が歩んだ年月は

そのまま下関の歴史です。
下関市赤間町6-7

下関南部町郵便局

石丸潔局長明治33 年建築の下関南部町郵便局。

「現役の郵便局としては国内最古」と石丸潔局長。

局長が手にしているのは葉書の漢字の語源になった

多羅葉(タラヨウ)の葉。

中庭を見学するのが通です。
下関市南部町22-8


 

九州は目と鼻の先

門司港にたたずむと、すぐ目の前に見える北九州市。
それでも2つの県を隔てるのは潮の流れの早い海流です。
現在ある橋と3 本のトンネルには、人々が対岸の人たちと何とか交流しようとした足あとがありました。

九州は目と鼻の先

関門スタンプ関門海峡の海の底、約60m のところに、世界で唯一、海峡を人が歩いて渡ることのできる道があります。1937 年に掘削を開始し、途中、太平洋戦争による工事の中断を経て、1958 年に開通した全長約780m の国道2号線、関門トンネルです。
トンネルは上3 分の2 が車道なので、道を歩いていると聞こえてくるのは車の音。原付も20 円を払い、押して歩けば通ることができます。ここは観光スポットのみならず、暮らす人の生活道路でもあるようで、買い物や通勤で利用する人も多いそうです。
「ウオーキングやランニングで日焼けしたくない人は、よくこの道を使うようです」と下関市役所の藤上さん。
福岡県と山口県の県境は1本の白いライン。ここが記念写真の撮りどころです。

JALでいく

JALでいく7 時35 分発のJALで山口宇部空港へ。4 月に訪れた時とは違い、荒天の中を下関まで小1時間。訪れたみもすそ川公園では雨の中、八艘跳びの義経と碇を担いだ知盛像と共に歴史体感紙芝居の語り部・南山格子さんが待っていてくれていた。市場をはじめお会いした方々の素敵な笑顔に触れるうち、いつしか天候のことも忘れ、すっかり下関の魅力に嵌ってしまった。それにしても、やはり本場のふくは美味い。また来ようーっと。 木村政雄

にっぽん日和 山口 下関市 前編

2013-08-29

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下関市

“福を招く” と人の言う
ふぐがつなぐ人の縁

春帆楼春帆楼

春帆楼

伊藤博文が「春の海をゆったり漂う帆船を心に描いて」名付けた春帆楼。明治政府の要人となった志士をはじめ、昭和天皇皇后両陛下も宿泊された割烹旅館です。
ふぐの刺身から透けて見えるのは古伊万里に有田焼。「ふく料理公許第一号店」の板前さんたちの包丁さばきは確かです。
春帆楼本店 下関市阿弥陀寺町4-2

手柴鋼太郎支配人日清講和記念館

春帆  手柴鋼太郎支配人

日清講和記念館日清講和記念館

春帆楼の隣にある記念館。

明治28 年、この地は日清講和会議の会場となりました。
浜離宮から下賜されたといわれる椅子や、講和会議で使用された調度品、

両国全権の伊藤博文や李鴻章の遺墨などが展示されています。

歴史をはぐくむ
〝ふく〞の味

ふく

下関に行くといえば必ず聞かれるのが「ふぐを食べに?」という言葉。皿の模様が見えるほど、薄く切ったふぐの刺身は圧巻。もはや芸術品と呼びたくなるようなふぐ料理は、食にとどまらず、下関の文化を語るときに欠かせない要素です。

豊臣秀吉の政権下で禁制となったふぐ。
それが解かれたのは遠く歴史を下った明治21年、当時初代内閣総理大臣を務めていた伊藤博文の令によります。きっかけはまさにこの下関、今ではふぐの名店として全国に名を知られるようになった『春帆楼』で食したふぐを「これは美味い」と賞賛したことによります。

ふぐ料理といえば刺身が王道ですが、ふぐちり、唐揚げ、ひれ酒、白子など、捨てるところなく味わえるのもふぐの特徴です。

「ふくはコースで食べても飽きない魚です。なぜなら刺身と唐揚げとでは、まったく味が変わるでしょう。天然もののふくは、ぽん酢をつけなくてもおいしく味わうことができます。歯ごたえがあるので、淡白な中にもさまざまな味をゆっくり楽しむことができるのがふくの良さ」と春帆楼の手柴鋼太郎支配人。

下関の人々が「福を招く」として〝ふく〞と呼ぶ魚。大人の味覚です。

松村久代表取締役下関のふく 袋競り

写真左)下関唐戸魚市場株式会社 松村久代表取締役

下関のふく 袋競り下関のふく 袋競り

下関の南風泊市場は、ふぐ専門の魚市場です。ここでは「袋競り」と呼ばれる独特な競りスタイルが伝統です。用意はいいか、場を閉めてもいいかを意味する「エカエカ」という競り人の掛け声と共に、袋をかぶせた手の中で仲卸人が指を握り、提示額を示します。ふくの状態を見極め、一瞬にして金額を決める「袋競り」は、魚市場の男たちの戦いの場なのです。

ふく株式会社天白ひらこし株式会社天白ひらこし

水槽をみせてくださった株式会社天白ひらこし代表取締役平尾泰範さん(左)と下関ふく連盟・全国ふぐ連盟事務局長
の時田詩夕さん。


スペースシャトルでふぐの刺身を食すために

水産大学校 芝恒男教授平成15 年、下関市内の中学校に日本人宇宙飛行士・古川聡さんを招いた交流会にて、「下関のふぐを宇宙でも食べられるようにできますか?」という下関市長の問いかけに水産大学校からの出席者が「できます」と答えました。その特命を受けて、ふぐの長期保存の研究に取り組んだのが、食品微生物分野を研究する芝教授のチームでした。
内臓や外皮などを取り除き、無菌にしたトラフグの刺身を50日間、冷蔵・熟成させることに成功したのは平成20 年。無菌のトラフグフィレーの機械化製造ラインを完成させ、洋食のレシピも開発しました。平成23 年には加圧して滅菌する方法にも成功。保存開始から50 日のトラフグを分析すると、うま味成分のイノシン酸は減少したものの、グルタミン酸は10倍以上に増えていたとのこと。「現在、ふぐ以外の魚や牛肉でも加圧滅菌を研究中です。実現には期待が持てます」と、希望に燃える研究チームです。


競り人は役者
相手が誰でも相場を仕切る

下関のふぐの水揚げは、全国の9割を占めるといわれます。その売買が行われるのが「下関南風泊市場」です。

ふぐの競りはユニークな「袋競り」。下関唐戸魚市場株式会社を預かる松村久社長も、30代の頃に12年間、競り人を務めました。
「みんな競り人に憧れてこの世界に入ってくるが、気が強いかとか、正直であるかという要素を見極められて競り人になるんだ。そろばんの2、3級くらいを持っていれば仕事を覚えるのも早いが、最近は電卓に慣れているから、これからどうなるかな」

競り人としての松村社長のポリシーは相場が異常に加熱することなく、どの船もあまり差がなく売ることだそうです。
「買ってくれる相手は社長さんだけど、自分は役者だと思って仕切っていたね。競りが終わるとただの人なんだけど(笑)」

終わるとただの人なんだけど(笑)」 ふぐは高くてなかなか手が出ないというイメージがあります。しかしもっと若い人にも食べて欲しいと松村社長。

「私にしても『ふぐ屋だ』と言うと、『おお! そうなのか』と関心を持たれて、いろいろな人との出会いがありました。ふぐは人と人をつなぐ魚ですね」

下関ふぐ市場のこれからの役割は、ふぐの普及のみならず、ふぐ文化を伝えることだと語ってくれました。

市長からのメッセージ 静岡県熱海市長 齊藤 栄

2013-08-13

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都心から1時間以内の楽園都市
“ 新生”熱海にご期待ください

熱海市長

私はこの3月で50歳になりましたが、50年前の熱海は白浜、別府と並ぶ新婚旅行のメッカでした。50年前の熱海新聞を見ると、新婚専用列車「ことぶき号」が走り、年間5000組の新婚カップルが熱海を訪れたとあります。

実はそれ以前にも、熱海には成長期がありました。それは明治中期から大正時代にかけてです。まず、熱海は日本で最初に市外通話の公衆電話が開通した場所ですが、それは政府の要人や文人墨客が数多く訪れた重要な場所であったからでしょう。また、現在市庁舎がある場所は、大正天皇の御用邸があった場所です。つまり熱海は、日本の行く末について要人たちが議論し、文化・芸術を生み出し、日本の近代史が作られた場所であるということです。

そして現在を、私は熱海の再生ではなく、『新生』の時代と位置づけています

そもそも今まで2回の熱海の黄金期は、明治維新後の世の中が大変革する時代と、戦後、高度経済成長が始まった時代でした。しかし今、第三の成長期は、今までのように時流に乗った成長ではなく、熱海に住む人々が、自らの力で熱海がそもそも持つ宝を磨き、その素晴らしさを日本中に発信する『新生』でなければなりません。

そこで私たちは「営業する市役所」として、熱海ブランド事業を立ち上げました。もともと別荘地、観光地として発展した場所ですから、食文化の洗練度やクオリティは日本中に誇れるものが数多くあります。

さらには観光に訪れるだけでなく、「熱海に住まう」ことをご提案したいと考えます。山と海の景観の素晴らしさ、源泉数5 0 0 を超える温泉の魅力、マリンスポーツやゴルフ、ハイキングなどのアクティビティの豊富さは言うまでもなく、実は熱海は地盤が強いことをご存じでしょうか。熱海は地盤の強度としてはナンバーワンである『第一種地盤』が全体の73・4%を占めているのです。

従来より別荘地として、あるいはセカンドライフの移住地として、数多くの人々がこの場所を選択してきたのには理由があります。東京から新幹線で1時間以内の楽園都市、熱海の魅力を発信することが、熱海が『新生』するための使命なのです。

熱海市

熱海市

【面積】61.61 km²
【人口】39,257人
【世帯数】21,491世帯

(平成25年4月末現在)

熱海の温泉

1 2 0 0 年以上の歴史を誇る熱海の温泉は、徳川家康公をはじめとする江戸幕府歴代将軍に愛され、「御汲湯(おくみゆ)」として、江戸城に献上された名湯。大湯という源泉をその都度、新しい木の樽に汲み、脚夫に担がせ、二十八里の道程を昼夜兼行で江戸まで走り、「熱海よいとこ 日の丸立てて 御本丸へと お湯がゆく」とうたわれた。

別荘王国

首都に近く気候温暖で風光明媚、豊富な温泉を有する熱海は、明治維新から大正、昭和にかけて、歴代の首相をはじめとする政界、軍閥の実力者、財閥や大企業の創設者、著名な文人墨客がこぞって居を構え、別荘王国となった。そして現在も約4万人弱の人口に対し、約1万件の別荘所有者が週末やバカンスを熱海で過ごされている。

ファイブエル ミシラン 和食処 海幸楽膳 釜つる

2013-08-12

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和食処 海幸楽膳 釜つる和食処 海幸楽膳 釜つる

釜鶴五代目 二見一輝瑠さん(左)
調理長 内山栄二さん(右)

日本の朝食を美味しくする

ひもの定食

「ウチの先祖は江戸時代、漁民一揆を先導したとして捉えられ、島流しになってるんです」と、釡鶴五代目主人、二見一輝瑠さんは言う。そんな『釡鶴』は創業150年余。料理人の間で知らない人はモグリと言われるほどの干物の銘店である。

干物のほとんどは地の魚。五代目が毎日市場に足を運び、新鮮な魚を中心に仕入れてその日にひらく。酸化防止剤などは一切使わず、天然塩を使用した絶妙な塩加減で仕上げる。冷凍という過程がないために、大量生産はできず、一部の量販店のみの取扱いとなっている。

釡鶴の干物を食するためには、直営店かオンラインショップで購入する。あるいは釡鶴が経営する和食店『海幸楽膳 釡つる』ならば、釡鶴本店のあじ、かます、えぼ鯛の3種から2枚選んで「ひもの定食」として食べる方法がある。さらに熱海市内のホテルや旅館にも、釡鶴の干物を卸しているところがあるという。

「干物は朝食の顔ですよね。旅行をしたときも、旅館に泊まったときの最後の食事です。つまり旅を印象づける食べ物だと思うんです。そこでカピカピの干物が出たら残念な気持ちになりますよね」

戦う漁師の末裔は、今、日本の朝ごはんのために奮闘しているようだ。

一般的な干物は材料が冷凍のものを加工することが多いそうだ。しかし釡鶴では鮮度の良さにとことんこだわる。あじやかますは干物の定番だが、季節によってえぼ鯛やのどぐろ、伊勢海老など、贅沢な海の幸も干されて、年間で40種類以上もの干物が釡鶴の店頭に並ぶ。

総じて魚は干すと旨味が増す。干物を焼く香りが漂うとき、日本人で良かったと実感するのだ。

和食処 海幸楽膳 釜つる和食処 海幸楽膳 釜つる
熱海市銀座町10-11

【T E L 】0557-85-1755
【営業時間】11:30~14:30 17:30~21:00
【定休日】水曜日(第三のみ木曜日定休)
ひもの定食
ひもの定食(あじとかます) 2100円 ※上の写真
ご飯セット1260円+店頭販売の干物価格で定食もできる。

ビジョナリーな人たち サトウ椿株式会社 代表取締役 佐藤秀幸

2013-08-10

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追究すればするほど深い
可能性を秘めた椿油について語りたい

政府の要人から文化人まで多くの人たちが愛した熱海。
都心から最も近い静養地としてこの地が賑わった時代があった。
素晴らしい自然も食も文化もあるこの街を、
なんとか生まれ変わらせたいと
切磋琢磨する人々がいる。その中の1人。
「うまさヘビー級、軽さフライ級」として
椿油で揚げた天ぷらの美味しさを教えてくれるのは
サトウ椿株式会社 佐藤秀幸代表取締役である。

佐藤秀幸

佐藤秀幸(さとう ひでゆき)

昭和33年、熱海市生まれ。日本大学商学部を卒業し、家業を継ぐ。
伊豆諸島・三宅島産椿油製造販売元 サトウ椿代表取締役。
椿油の食用油脂製造業の許可を取得したのは平成11年。
http://www.sato-tsubaki.co.jp/

熱海銀座に店を構えて
94年の誇り

「椿の学名はカメリア・ジャポニカ。世界的に有名なファッションブランドのデザインにも取り入れられていると聞いています。花は観賞用、タネから採れるのは椿油、椿油の搾りかすは、ナメクジよけとして農業やガーデニングに使われます。そして葉っぱは茶葉になります。椿という植物は捨てるところがないんです」と話す佐藤秀幸さん。

朴訥とした語り口は、商売人というよりも研究者のようだ。実際に椿に関する知識は非常に広範囲で、サトウ椿のホームページを見ても、専門的な見地から椿油の定義・表示から用途・効能まで詳しく綴られている。

そんな佐藤さんが、真っ先に手をあげたのが、熱海市と商工会議所が連携して立ち上げた、事業者の新しい事業への取り組みを支援し、街を活性化するための『熱海市チャレンジ応援センター A ‒biz』なのだ。

「なぜ手をあげたかと言いますと、端的に言えば、椿油が思うように売れていなかったからです。ウチは大正8年創業。私は三代目なのですがね」

明治から戦前にかけて御用邸があった場所、熱海銀座として栄えた商店街に店を構え、御用邸のお付きの方も椿油を買い求めにやってきたという「つばき屋 佐藤油店」三代目の誇りと責任感がそこにある。

そこでA ‒bizの担当者としてやってきたのが、観光経済課産業振興室の小山みどりさんだった。

「もともと私は戸籍の担当だったんですよ」と笑う小山さん。

「今年は市庁舎を新しく建設し、街にもジャカランタという、美しい花をつける樹木を植樹するなどの計画が進んでいます。しかし街だけが変わっても、ここで事業をする人たちが変わらなければ、訪れる人をもてなすことができません。そこでA ‒bizを立ち上げたのですが、行政が
一事業者の売上を応援するのはいかがなものかという声もありました。しかし『頑張る』という気持ちのあるところを街をあげて応援すべきではないかということになったのです」

椿油は何かを持っている

そもそも椿油は雑貨として販売されていた。そのため一般的には髪をつややかにするなど化粧品として馴染みがある。しかし実は食用としても非常に適した油なのだという。

「食用としての良さがわかりやすいのが加熱料理、特に天ぷらなんです。ただ、椿油は少ししか採れないので、天ぷら油にするには高価なんですね。そこで椿油100%ではなく、菜種油8割、椿油2割のブレンド油で揚げた天ぷらの試食会をやってみたんです。参加したのは欠食児童みたいな腹ペコ連中。こんなので違いがわかるのだろうかと不安にもなりましたが(笑)、椿油で揚げた天ぷらは、他の油で揚げたものと比べて見た目も味も実に素晴らしかったんですよ」

椿油100%の天ぷらは食感が非常に軽い。色も白くて美しい。年配の方であれば、100%椿油の天ぷらを好むかも知れない。しかし「食べた感」を求めるのであればブレンド油ではないかと佐藤さんは言う。菜種油が8割であっても、その美味しさは十分に堪能できるのだ。

その様子はテレビの報道番組でも取り上げられ、電話が繋がらないほど話題になった。近年、ヘアケア製品は言うまでもなく、肌の保湿にいいという理由で衣料品やボディタオルにも配合されている椿油。食用は一般に馴染みがなかっただけで、従来より高級天ぷら店では使用されていたという。それは是非自宅でも食べてみたいと誰しもが思うものだ。

「もちろん今でも問合せはたくさんいただいていますが、テレビの影響がずっと続くとは考えていません。試行錯誤は続けていかなければならないという気持ちはあります。ただ、椿油は非常に可能性を秘めていると思うんです。なぜかと聞かれると、理由はないと言いますか(笑)、子どもの頃からいいものだと聞かされて育ったからでしょうか」

佐藤さんの話で大笑いしたことがある。それは昭和25年の熱海大火にまつわるできごとだ。焼失家屋979棟、被災1461世帯と言われた大火ののち、街の人々の努力で再生した熱海。復興の様子を伝える写真展が開催されたときには佐藤油店の店舗の写真も紹介されていた。

「そのキャプションに、佐藤油店を境にして火が大きくなったとあったんです。二代目である親父は怒りましてね。その説明文を削除させるほどだったのですが、なぜか私には誇りだったんですよ。椿油っていうのはすごいなと(笑)」

熱海大火で店舗が焼失したことも、今日の熱海市経済の状況も、大変な苦難であるに違いない。しかしこのユーモアがあれば、明るく力強く乗り切って行けそうな期待感を抱かせてくれる。

「物事というのは追究すればするほど奥が深いことに気づくものだと思うんです。椿もそうですね。まだまだ私は探り当てることができたとは言えませんが。

今考えていることは、椿油で揚げたドーナツを作ること。きっと美味しいと思うんですよ。どこまでやれるかわからないけれど、やれるところまでやってみたいんです」
54歳の挑戦は、今始まったばかりである。

観光経済課産業振興室小山みどり観光経済課産業振興室
小山みどりさんと

つばき油本つばき油 180g 2625 円
サトウの椿油(お徳用ペットボトル入り)
457g 1365 円 914g 2625 円

◎木村の視点

木村の視点カメリアといえばてっきりダイヤモンドのことだと思っていたが、それがココ・シャネルの愛した椿のことだと知ったのは佐藤さんにお話を伺った時のことだ。
濾過器を前に、まるで理科の先生のように椿についてレクチャーをしてもらい、椿油の素晴らしさを改めて知ることが出来た。まるで椿の花言葉のように「控えめの美徳」そのもののこの人が、まだ海のものとも山のものとも分からない「A-biz」プロジェクトに先を切って手を挙げたというのにも驚いた。それだけ危機感を抱いていたと同時に、ベンチャースピリットに富んでもいたということなのだろう。さっそく椿油を買い求め、家で揚げた天ぷらはやはり美味。

このぶんなら、佐藤さんが椿のもう一つの花言葉「申し分のない魅力」に溢れた人になるのも、そう遠い日ではない気がする。

にっぽん日和 静岡 熱海市 後編

2013-07-25

後援:観光庁
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rogoマップ

文人墨客が愛した理由
文化の発信は熱海から

尾崎紅葉の『金色夜叉』の連載第一回目が、読売新聞に掲載されたのは明治30年。昭和に入り、たびたびドラマ・映画化されたこの作品は、熱海と深いゆかりがあります。

熱海市の指定有形文化財である「起雲閣」には、尾崎紅葉の間が。大正8年に実業家の別荘として建築された起雲閣。昭和22年には旅館として生まれ変わり、この宿を愛した人々として、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治など、日本を代表する文豪の名があります。

太宰治は熱海の旅館滞在中に起きた出来事を発端に『走れメロス』を書き、谷崎潤一郎は熱海のホテルで『細雪』を執筆し、別荘を構えて晩年を過ごしています。

大正時代には与謝野晶子が初島を訪れ、『初島紀行』の中に、島の生活を記しています。また、林芙美子は昭和20年代に初島を訪れ、『うず潮』のエピローグでは、初島から観た熱海海岸の夜景を綴っています。曰く「昏い海の向こうに、ちらちらと熱海の不夜城の灯がたなびいて、明滅していた」と。

不夜城時代の熱海には、三島由紀夫も新婚旅行で訪れたとのこと。昭和27年にオープンした喫茶店『ボンネット』のマスター、増田博さん、この地を訪れた有名人、そして熱海の将来について語ってくれました。

「僕はジャズと映画が好きでね。S盤アワーでかかっているような曲を流して、フレッド・アステアの映画に出てくる女性がかぶっている帽子『ボンネット』を店名につけたんだ。

三島先生とはホテルのプールサイドでよく会っていて、映画の話なんかで盛り上がってね。泳ぎを教えたこともある(笑)。

今、熱海は寂しい状況になってしまったけれど、これだけ東京から近くて自然の恵みがある街だから。この街で商売をする人と住む人たちが共存共栄すれば、きっと熱海は良くなるよ」

東京から新幹線で1 時間の楽園、熱海は、知れば知るほど奥深い街でした。

著名人が集った 昭和の喫茶店

ボンネット

みしま⑦ボンネット
店内にはレトロなショーケース。中には芸妓さんのかんざしや、アメ横で仕入れてきた子どもの玩具などを置いて販売していた時代もあったとか。

香りのいいコーヒーに加えて、米軍キャンプに出入りしていた増田さんがオリジナルで作ったハンバーガーもこの店の目玉です。

熱海市銀座町8-14 (営) 9:00~17:00 (休) 日曜日

IMG_6230ボンネット


 

谷崎潤一郎が愛した
仏蘭西洋菓子

洋菓子モンブラン

たにざき⑧洋菓子モンブラン
1947 年の創業より変わらない味を継承するのは村井梢さん(右)と妹の竹森満里さん。ミルフィーユを作る手順も、材料も変わらず。

「心を継承しています」と梢さん。創業当時はレストランとして営業し、谷崎潤一郎氏も足繁く通ったそうです。

熱海市銀座町4-8 (営)10:00~18:00(週末は19:00まで)(休) 水曜日

洋菓子モンブラン洋菓子モンブラン


 

 大正・昭和のモダニズムを
今に伝える建築様式

起雲閣

起雲閣起雲閣

太宰しが⑨起雲閣

鉄道王の異名を持つ実業家、根津嘉一郎の手による緑豊かな庭園、格調高い洋館、そして海運王と呼ばれた内田信也により建てられた和室など、贅を尽くしたモダニズムは圧巻です。

邸宅の歴史の語り部は、熱海に魅せられた人々。

館長の中島美江さんをはじめ、皆さん市外から移住して来られた方々だそうです。

起雲閣熱海市昭和町4-2
開館時間 9:00~17:00
(入館は16:30まで)
休 水曜日
入館料 大人500 円 中高生300 円

 

にっぽん日和 静岡 熱海市 前編

2013-06-20

後援:観光庁
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「貫一・お宮の像

国道135 号線、下り車線沿いに建つ「貫一・・お宮の像」。明治時代、読売新聞に掲載された『金色夜叉』の一場面です。一高の学生、間貫一が、自分を裏切った許嫁のお宮を許せず、追いすがるお宮を蹴り飛ばしたのが、ここ、熱海の海岸。
現在は「熱海サンビーチ」というハイカラな名前がついています。

rogo図1

①大観荘

 

大観荘

刀禰努総支配人温泉の蒸気で体を温める「温泉床」

写真右下)温泉の蒸気で体を温める「温泉床」

もともと実業家の別荘として建築された大観荘。創立者と懇意な間柄にあった横山大観画伯の名を頂いて、昭和23 年に旅館が開業しました。数寄屋造りの佇まいと美しい日本庭園が有名な、熱海を代表する老舗旅館です。「奇をてらわず、心からのおもてなしをすることが信条です」と、刀禰努総支配人が語ってくれました。

熱海市林ガ丘町7-1


 

②福島屋旅館

福島屋旅館福島屋旅館福島屋旅館

「熱海は初島もある観光地。だからウチには船中泊の人も温泉に入りに来るんです」と福島屋旅館の主、松尾光貴さん。夏は海 水浴帰りの人も寄るという、かけ流しの立ち寄り湯は400 円。赤電話のあるフロントや、モザイクタイルのお風呂には昭和の香りが漂います。

熱海市銀座町14-24


③熱海の海岸線

熱海の海岸線

国内で初めて、砂浜をライトアップしたという熱海サンビーチ。昼間はヤシの並木が海外のリゾート地の雰囲気、夜はムーンライトビーチへと変貌を遂げます。


④熱海の街は小型車で

熱海の街は小型車で

熱海は海岸線のすぐそばまで山が迫る起伏に富んだ地形なので、街巡りは小型車が最適。案内してくれた観光推進室ロケ支援担当の山田さんは原付姿。賢い選択です。


⑤熱海芸妓が舞う 湯めまちをどり 華の舞

熱海芸妓が舞う 湯めまちをどり 華の舞

熱海芸妓が舞う 湯めまちをどり 華の舞熱海は日本でも屈指の芸妓街。現在でも100 の置屋があり、200 名あまりの芸妓さんが所属しています。そんな芸妓さんの踊りを見学できるのが、芸妓連歌舞練場「芸妓見番」。

松千代、沙都美、ほたる、京馬…と、日本髪に結った芸妓さんの写真を観るだけでも心が躍ります。

「一人前になるまでは3年の修業が必要なんですよ」と話してくれたのは金太郎ねえさん、熱海芸妓置屋連合組合の広報を担当する親松結香さんの源氏名です。

熱海市中央町17-13

熱海芸妓見番 湯めまちをどり 華の舞
毎週土曜日・日曜日午前11 時~1回開催。
大人1300 円


⑥ゆしま遊技場

ゆしま遊技場

ゆしま遊技場スマートボール1回500円、

射的8発500 円。

的に命中させるにはコツが必要。

懐かしい昭和の遊びです。
熱海市銀座町5-9


日本の歴史に名を残す
熱い湯を堪能する

熱海の地形は起伏に富んでいます。相模湾に向かって傾斜した山肌に、ぎっしりと並ぶ旅館、ホテル群。熱海駅からの直線距離はさほどでなくても、目指す宿に着くには急な坂を登らなければならないのが定番。それでも日本中の人々が、この地の温泉にやって来るのには理由があります。

現在、1日の総湧出量は毎分約1万6千㍑。約9割が42℃以上で平均温度は約63℃。「熱海」の名そのものの熱い温泉の起源は今からおよそ1260年前。海中に湧く熱湯を、漁民を助けるために、薬師如来への祈祷によって熱海の中腹に移したという神話があります。江戸時代には徳川家康が湯治に訪れ、明治時代には最新式の医療施設を備えた温泉保養センター『噏滊舘(きゅうきかん)』が設立されました。温泉地で初めての御用邸が建てられるなど、日本の歴史のあちこちに、その名を記した温泉地なのです。

郷愁だけでなく
今に生きる温泉街

昭和30年代には新婚旅行のメッカに、高度成長期には社員旅行の定番になった熱海。今は都心から近い別荘地として、著名人も数多くセカンドハウスを持っています。この地に降り立つ人々のファッションが変化すると共に、温泉街の様子も移り変わってきました。

現在、市内で唯一、スマートボールと射的を楽しむことができる『ゆしま遊技場』の女主人は話します。「昭和40年代は、温泉街を歩く人同士の肩がぶつかるほどの賑わいだったわね」

その昔、新婚旅行で熱海を訪れた年代の人には、たまらない郷愁を感じさせる遊技場です。

一方で、旦那衆だけが楽しむのではもったいないと、近年は女性たちにも人気なのが芸妓さんです。

「結婚何十周年記念というご夫婦のお座敷に呼ばれることもありますし、最近は女子会に呼ばれることもあるんですよ。そして着物の着付けからお三味線や唄などを学びたいと入門する若い女性も多いです」

煌めく夜景と艶やかで元気な女性たちは、熱海の観光資源なのです。

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